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大阪家庭裁判所 昭和48年(少ハ)2号 決定 1973年3月08日

少年 O・K(昭二七・九・一二生)

主文

本人を昭和四八年五月一五日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

(本件申請の要旨)

現在奈良少年院に在院中の本人については、昭和四八年三月二八日をもつて、少年院法一一条一項但書に基づいて継続されてきた収容期間が満了となるところ、同年二月一二日現在累進処遇の段階が一級下(中位)に止まり、残余の収容期間中には同少年院所定の退院条件を満たし得ず、その非行に陥り易い性格傾向の矯正も不充分であつて、未だ犯罪的傾向が除去されたとは認められないので、上記収容期間満了後仮退院に至るまでの社会復帰のための教育期間と仮退院後の保護観察期間とを合わせて、引続き五か月間収容を継続する必要がある。

(当裁判所の判断)

(1)  少年院収容までの経過

本人は、昭和四三年三月中学校卒業後、工業高校に進学したが、勉学に対する意欲なく成績不良で落第したため一年で中退し、その後電器工場、自動車修理工場などに勤務するも就労意欲は極めて低調でいずれも永続きせず、生活の基盤もないのに家を出て友人と共同でアパート暮しを始め、シンナー遊び、不純異性交遊に耽けるなど全く無軌道な生活を送るうち、車上狙い、店舗荒しなどの非行を繰り返し、昭和四五年四月一七日当裁判所において保護観察決定を受けるに至つた。その後、本人は、それまでのアパートを出て両親のもとに帰り、喫茶店のバーテンとして稼働するようになり、一時期比較的安定した生活を送つていたが、店の同僚に競馬を教えられてからというものは、一か月に七、八万円も馬券購入に投資するほどこれに熱中するようになり、遂には馬券購入のため二〇万円もの借金を作り、その返済の追求を免れるため逃げるようにして店をやめ、その後は家にあつて一時就労したこともあるが、もともと就労意欲に乏しいのに加えて競馬で思わぬ大金を儲けたり、大金を借金したりする中で地道に働くという生活態度は失われ、殆んど定職らしいものもないままボーリング、パチンコ等遊び暮し、その間家出して友人のアパートに寄宿するなど極めて無為徒食の生活を続けていたものであり、このような放恣な生活を送る過程で、遊興費欲しさから三回にわたつてボーリング場での置引きを敢行するに及び、このため昭和四七年三月二九日当裁判所において中等少年院送致の決定を受けるところとなり、同年四月一日奈良少年院に収容されるに至つたものである。

(2)  本人の性格ないし行動傾向

本人においては、知能的にさほど劣つているとは認められず、性格偏倚といつた固定されたものも見受けられないが、生活の基本的躾の不十分さが目立つており、また、年齢に比して自己に対する認識はかなり未熟で、内省力に乏しく、自分の立場や状況を考えて自律的に自己を統制し責任をもつて行動しようとする意欲に欠け、そのうえ忍耐したり努力する構えが全くないため、ただ感情の赴くままに安逸な行動に流されてしまうといつた傾向の存することが強く指摘され、これらの性格特性等が高校進学を機に不良交友を持つと同時に遊惰な生活へ傾斜するところとなつて現われ、放縦ともいうべき生活を続けるうちに健全な生活を指向していくことが困難な状況に陥ることによつて一層拡大され強調され、遊ぶ金は欲しいが働く気はなく安直な手段があればそこへ容易に飛びつくという形で非行と結びついていつたものと解せられ、本人の犯罪的傾向を矯正するためにはその性格ないし行動傾向にみられた問題点の改善が肝要とされるところであつた。

(3)  少年院における処遇の経過

本人は、昭和四七年四月一日の入院と同時に二級下へ編入され、同年七月一日二級上に進級し、同月三日電工科に編入され職業補導を受けることとなり、その後同年八月一六日に少年院法一一条一項但書に基づき昭和四八年三月二八日までその収容を継続する旨の決定を経て、昭和四七年一一月一日に一級下へ進級したものの、その頃、他の在院生に対する反則事故の調査過程において、本人についても、同年一〇月一一日から同年一一月二日までの間における三件の反則事故が発覚したため、同月八日謹慎一五日、減点一三点の処分を受けるとともに二級下に降級されるに至つた。本人の反則事故というのは、まず、電工科教室において休憩中、籐工科の院生に作業場から籐の棒を持つてこさせ、これを削つて煙草の代用にし他の院生とともにスポツトライトのレンズで日光から火を得て喫煙したこと、次に、庁舎前で電工実習中煙草の吸殼を捨い、これを電工科教室に持ち込んで机の中に隠しておき機会があればスポツトライトのレンズを用いて喫煙するつもりでいたこと、更に、他の在院生が電工科倉庫からボンド一罐を持ち出したのを見て、自分もボンドを盗み出して吸引しようと考え、昼食時のパンの空袋を寮内に持ち込んだうえ、翌日これを電工科作業場に持つて行き机の中に隠し、その機会を窺つていたというものであつて、これらの反則行為は内容的にさまざまで悪質なものであるとは思われないが、自律的に自己を抑制する行動統制に欠け、その場の状況に誘発されて行動し易い本人の性格ないし行動傾向に起因するものであると考えられ、しかも、本人の内省は全く薄弱で、本件審判時においても暇だつたから何となくやつたという程度の認識しかできないでいる。

しかし、ともかく本人は、同年一一月一六日に一級下に復級してからは、一回の反則事故もなく、同年一二月一日には学科賞(増点五点)を、昭和四八年二月一日には電工技能検定に合格して技能賞(増点五点)をそれぞれ受けるまでに至り、本件申請後の同年三月一日には累進処遇の最高段階である一級上に進級し、現在電気工事士の資格取得のため勉強中で既にその試験を一部受け始めているところであるが、収容期間の満了する同年三月二八日においては処遇段階が一級上に進級した後行われる同少年院所定の約二か月半程の社会復帰のための教育過程を終了するまでには至らない。

しかして、本人に対するこれまでの処遇の過程において、前記反則事故を除いて表立つこととしては、教官の命に素直に従わないとか、考え方が自己中心的であるとか、生活の目標を持つておらず自己抑制力に欠けるとかいうようなことで注意されることが多く、反則とまでいかぬ生活態度の不良ということで反省室へ入れられたことが二、三回あり、また、本人は一度生活態度が乱れるとそれが好転するまでにかなり手間取り回復が遅れる傾向にあることがみられる。そして、昭和四八年二月一四日院内で行われた大阪少年鑑別所技官の問診による再鑑別結果によると、本人には依然として自主性に欠けるという点が強く指摘されており、本人は、一級下に復級してから顕著な問題行動はなく成績の向上が認められるとはいえ、更生の意欲といつた点からは少なからず物足りなさの感がないではなく、むしろ処遇を受動的に受取り無難に経過しているといつた面が強く窺われるところである。なお、本人は、現在、少年院側の説得もあつてか自己改善の必要性を認め、引続き当分の間少年院に継続収容されることを受容する心情となつている。

(4)  退院後の態勢

本人は院内処遇において電工科の職業補導に編入され指導訓練を受けているが、これは少年院側が本人、保護者の意向を尊重したうえ、本人の犯罪的傾向を矯正するためにはしつかりした職業技術を身につけさせることが極めて望ましいとの配慮によるものであつたし、しかも本人は前記収容期間満了までに電気工事士の資格を取得できる見込みである。それにもかかわらず、本人は、退院後の方針として、電気関係の技能を将来に資する意思は全くなく、できればアルバイトをしながら料理学校へ通つて調理士の免許を取り、その方面で身を立てたいという希望を持つている。他方、両親は、本人の退院後の帰住について積極的な引受け意思を示しているが、就職については退院の際に本人の希望に沿うようにして考えてやりたいとし、本人のため適職と適当な就労先を選ぶなど具体的な受入条件を整えるには至つておらず、また、本人の更生に対する不信感が未だ拭い切れていないところから、社会復帰のための訓練を施すことは本人にとつて望ましいとして収容継続を容認している。

(5)  収容継続の必要性

如上の諸事情に鑑みると、本人の性格ないし行動傾向に大きな変容は認められず、その負因の改善に特に著しい効果が挙つているというわけではなく、また、現在少年院で施されている職業補導は本人の社会復帰に際して必須の条件となつておらず、更に、家庭における受入態勢にも今一段と期待を持てるような強力なものが窺われないところであつて、前記収容期間満了をもつて直ちに本人を退院させることには少なからず不安が存することは否定できず、それだけに本人の犯罪的傾向は未だ十分に矯正されたとはいいきれない状況にあると認めざるを得ない。したがつて、本人に対してはなお収容を継続して矯正教育を施す必要があることは是認せざるを得ないであろうが、しかしまた、本人においてはより長期間の収容を継続したとしてもそれによつて資質上の負因等に著しい改善が期待できる特段の事情は窺えないところでもあるので、本人が昭和四八年三月一日をもつて累進処遇上最高段階である一級上へ進級してから前記収容期間満了まで一か月足らずで社会復帰のための教育期間としては十分であるとは認められないこと、また、両親はもとより本人も収容継続を容認する心情となつており、その上に立つて矯正教育を施すことは有効であること、その反面本人の意欲的な矯正教育の受容を阻害する結果を来たすことのないよう留意することも重要であることなどを考慮するならば、処遇段階が一級上に達した後行われる約二か月半程の自主活動に主眼をおいた社会復帰のための教育過程を矯正教育の締括りとして経由することの必要性を明示して、これを終えるまで引続きその収容を継続することは、殊に自主性の育成を図るとともに生活目標を確立させることが必要である本人にとつては望ましいことであると考えられる。

ところで、本件申請は、本人の仮退院後における保護観察期間を合わせて収容継続を求めている。なるほど、仮退院後の保護観察による補導、援護を必要とする特別の事情があることを理由にしてその期間をも含めて収容継続期間を定めることは許されるものと考えるところ(ただ、その場合にあつても、仮退院がいたずらに遅延するという弊害の生ずる危険は回避しなければならず、仮退院の時期をほぼ確定的に予定し得る事情が認められることを要するものというべきである)、本人にあつては、収容前の生活状況等に照らすと、退院後の職業への定着について一抹の不安が残らないではなく、社会生活の安定を図るためにはその面での予後補導は望ましいと思われるが、前記のように少年院における全矯正過程を完了することによつてその矯正教育の目的を概ね達し得ると解される以上、未だこれをもつては本人を保護観察に付するに足る充分なものとはいえず、他にこれを必要とする特別の事情は認められないところである。

したがつて、収容継続の期間は、本人が今後無事故で経過するとすれば上記最上級処遇の過程を一応終了すると推測される昭和四八年五月一五日までとすることが相当であると思料する。

(6)  結び

よつて、少年院法一一条四項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 鈴木正義)

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